最近、テレビでニュースや報道ワイドショーなどを見ていると、心理カウンセリングが、社会的に認知されるようになってきたと感じています。
何か心が関わるような問題や事件が起こると「カウンセラーを配備した」ということが、解決策として語られるのをしばしば耳にするからです。
今のところ、特に、学校社会の中で、「スクールカウンセラーを配備する」という形で広まっているような気がします。
そのような情報に頻繁に接していると詳しいことが分からないままに、「心の問題を解決するのは心理カウンセリングなんだ」という暗示にかかってしまう人も多いと思います。
でも、それは間違いです。
心の問題を解決するのは、
- 日常生活における人と人とのふれ合い(心のふれ合い)
です。
心理カウンセリングは、もともと、主に、次の2つの状況に陥った人のためのものだと考えています。
- 子供の心の家庭の中で、「人と人とのふれ合いによって心が癒やされる体験」ができなかったために、心の問題にどのように対処すれば良いのか学習できなかった人
- 「人と人とのふれ合いによって心が癒やされること」を知っているけれども、たまたま、それを実践できる場を、現在の環境では得られない人
それ以外の人は、日常生活の中で、人と人とのふれ合いによって心が癒やされ、元気を取り戻しながら過ごしているものなのです。
ですから、本当に良いのは、「カウンセリングが広まること」ではなく、「心は、日常生活の中での人と人とのふれ合いによって癒やされる」という認識に戻していくことだと思っています。
そこをきちんと押さえておかないで、マスメディアから流れてくるカウンセリングや心の問題に関する情報をそのまま聞いていると、いずれ、ほとんどの人が「誰でも、心の問題は、心理カウンセリングにいくものだ・・・」と何の根拠もなく信じるときがやってきそうな気がして心配です。
私たちの日常生活から、「心と心のふれ合いによる支え合い」が切り離されてしまったら、それが完全に分離される社会になってしまったら・・・、私たちの日常生活には何が残るのでしょうか?
経済活動? 勉学活動? 専門家活動?

人間が「社会的なロボット」となるような時代にしないために、「心は、心理カウンセリングではなく、日常の人と人とのふれ合いによって癒やされる」ということを覚えておいて下さい。
(こう考えると、「学校に、生徒や児童を対象とするスクールカウンセラーを配備する動きを、良いことだ」と、一概には言えなくなります)
余談
東北大震災のときに、いろいろな避難所に、「心理カウンセラーお断り」という貼り紙がされていたという話があったと記憶しています。
私は、心理カウンセラーの現地での実際の活動や、現地の人たちが実際にどのように受けとめていたのかは知りません。
でも、仮に、貼り紙が事実だったとしたら、
- 避難している方々が、日常的にお互いに支え合い癒やし合っているところに行って、「私は、心の専門家です。心の傷を癒やすために、カウンセリングが必要です」と言ってカウンセリングを受けさせようとしていた
のではないかと想像します。
最後に、もう一度書いておきます。
「心は、心理カウンセリングではなく、日常の人と人とのふれ合いによって癒やされる」
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