心理のことを調べていて、「防衛機制」という言葉に出会ったことがありませんか?
wikipediaで調べてみると、様々な名前をつけられた防衛機制の反応が沢山紹介されていました。
ざっとしか読んでいませんが、「防衛機制」は悪いことであるようなニュアンスを感じてしまいました。
分類が細かすぎて、それぞれの定義が難しすぎるので、結局、防衛機制とは何なのかがいまいち理解できないのではないでしょうか?
そこで、防衛機制を大雑把に説明したいと思います。
成人における防衛機制
防衛機制の中でも、成人における防衛機制に限定して説明します。
簡単に言うと、左利きの人が、お箸を持つ手を、右手に変えさせられようとするのに似ています。
人は、子供時代に、家庭のルールに従うことを、当然のように受け入れさせられます。
ただ、子供の意思を大切に扱う家庭もありますし、子供の意思は無視するという家庭もあります。
子供の意思を無視して、強制的に子供を従わせる方法が、一般的に議論になりやすい「しつけ」です。
それも、ただのしつけではなく、「肉体的な暴力」或いは「身体的な暴力」を伴うしつけです。
しつけの厳しい家庭では、子供は、家庭のルールに従わなければ、とてもひどい気持ちにさせられてしまいます。
やがて、子供たちは洗脳されて、家庭のルールを「普通のこと」として受け入れることになります。
これが、成人の防衛機制の原因となります。
自分への違和感
自分に、家庭では否定される願望が生じたとします。
その願望に対して、自然に違和感が生じてしまいます。
そして、家庭で身に付けたルールに収まるように、自分の願望を処理しようとするのです。
望んでいないことにしたり、それとは別の望んでいないことを望んでいることにしたり・・・。
そのやり方は、「否認」とか「歪曲」とかその他数多くの名称に分類されるということです。
ですから、自分の行動が何に分類されるか、誰かの行動が何に分類されるかなどと考えるのは、大して意味はありません。
お腹が空いたときには食べたいものを食べれば良いのであって、ラーメンを食べるのが良いか、親子丼を食べるのが良いかと深刻に考えても意味がないのと似ているように思います。
他人への違和感
同じように、他人の行動や考えにも違和感を感じます。
そして、人それぞれのやり方で、その違和感に対処しようとします。
成人の防衛規制の原因は、ほとんどの場合、家庭でのしつけにあると考えて問題ないと考えています。
もし、誰かのこと、自分のことで、「防衛機制」という考えが気になったら、その行為ではなく、その違和感に意識を向けるときっと、解決のヒントが見つかるはずです。
このような防衛機制が、本当に守ろうとしていることは、目の前の事象ではありません。
子供の頃に「しつけ」がなされる状況に陥らないように、守ってくれているのです。
防衛機制から自由になる為には、しつけによって傷ついた心の癒やすことが必要です。
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