心を楽にするために振り返る子育て

第04回 「心が傷つく」ということ

(2005/04/14)

(1)「悪意」

「心が傷つく」ということを考えるとき、相手に悪意があるかどうかが、重要なポイントになると思います。仮に、相手に悪意がある場合は、傷ついてしまってもやむを得ないと思えるところはあります。

でも、悪意が無い場合、傷つくことに必然性はないような気がするのです。

そして、自分の周りの人たちをもう一度眺めてみると、「本当の意味での悪意」を持った人がほとんど見当たらないことに気付く人は多いのではないかと思います。

にも係わらず、「心を傷つけられた」と感じてしまうの、はなぜでしょう?

(2)勘違い?

素直に気持ちを表現したり、相手が誤解しないように伝えたりすることは、意外に難しいことです。

ですから、相手の言葉には、表現不足や言い間違いなどが、意図せずして含まれているのは、普通のことなのかもしれません。何かを言った後で、「こう言った方が良かったかもしれない・・・」などと感じたりするのは、自分自身が、そのことに気づいたということだと思います。

ですから、傷つきそうに感じた時は、「『傷つくこと』に対する許し」を自分自身に与える前に、「相手に悪意はないのかもしれない」ということを、まず、疑ってみることは大切だと思います。

(3)傷ついているときの心の状態

「傷ついた」と感じているとき、「相手の言葉や態度などをきっかけに、 そこから自分が連想したことによって自分自身を責めている状態」に陥っていると考えています。

「いつも自分自身を責めていることを思い出して、再び、自分を責め始めてしまう」と言えるのかもしれません。

つまり、相手に悪意が無いとしたら、自分を苦しめていたのは、自分自身なのかもしれないのです。

【例】
Aさんは、「私には服のセンスがない」と気に病んでいます。

「私は派手な服は似合わない」と少しコンプレックスを感じているBさんは、Aさんの着こなしをとても羨ましく感じ、「今日のあなたの服は、派手で良いわね!」と憧れの気持ちを微笑みで表現しながら言いました。

その言葉を聞いたAさんは、あざ笑われたように感じて、自分のセンスのなさを責め、辛い気持ちになり表情は一変しました。

重い雰囲気を感じたBさんの顔から、愛情のこもった笑顔は次第に消えていきました。

(4)「責める」ということ

「自分を責める」とは、「自分を変えることで、自分がイメージしている環境に適応しようとすること」と考えています。

「自分を変える」ということから、その理由を「自分に問題があるからだ」と考えてしまっても仕方ないところがあります。

でも、本当の問題は、自分ではなく、「環境や自分自身に対して持ってしまったイメージ」にあると考えています。

世の中の「無数にある価値観」の中から、どのような価値観を自分が選択しているかに気付くことは、そのイメージが修正され、「変わらなくても、とっくに適応していた」ということに気付いたり、「すぐ近くに、適応できる別の環境がある」ことに気付くきっかけになるかもしれないと思います。

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