心を楽にするために振り返る子育て

14. 私たちが受け入れるべきもの

読むカウンセリング【No.0013】 2007/10/27

私たちが受け入れるべきもの

今回は、「今の状況を受け入れられれば楽になるのに、それができなくて困っています」という文脈で用いられる『受け入れる』ということについて考えてみたいと思います。

1. 前提

心のことを考えようとする時に、まずはじめに確認しておかなければならない前提があります。それは、

■自分の感覚や感情は、自分にとって確実に正しい

ということです。

【例】

  • 自分が悲しいときは誰から何と言われようと悲しい
  • 自分が嬉しいときは誰から何と言われようと嬉しい
  • 自分が暑いと感じるときは誰から何を言われようと暑い

ここだけを読めば、「そんなこと当たり前だよ」と思われるかもしれません。

しかし、普段の私たちは、感情や感覚だけに焦点を当てるのではなく、現実的な事実や背景の中でそれらを理解しようとするうちに、当たり前と思っていたはずのことを、見失ってしまうところがあるのです。

2. 陥りがちな思考


【例】

新しく配属になった部署は、毎日単調な作業の繰り返しで何の刺激もなく、毎日、会社に行くのが嫌で嫌でたまりません。

これまでの会社での評価は良く、本来ならば自分の望んでいた○○部○○課に配属され活躍しているはずだったのですが、人事上の都合で今の部署に配属される事になってしまいました。

最低5年はここで居なければなりません。

転職という選択肢もあるのですが、給料が良いので、家のローンのことを考えると、なかなか踏み切ることもできません。

せめて、現状を受け入れることができればやっていけると思うのですが・・・。


このような状況に置かれていたとしたら、あなたは『現状を受け入れる』とは、どういうことを指していると考えますか?

もし、次のようなことを考えるとしたら、『1』で説明した前提は消え去ってしまっているということになります。

  • この状況を『普通』と思うことができれば苦痛は感じなくなるだろう
  • 「恵まれている部分もある」と思うことができたら苦痛を感じなくなるだろう
  • 仕事だと割り切れば苦痛を感じなくなるだろう

なぜなら、これらを言葉を変えて説明すると、

■ 現状を『普通のこと』、『恵まれている』、『重要ではないこと』と思い込もうとし、その思い込みを達成することで、自分に生じる心理的な苦痛を消滅させようとしている、つまり、当然感じるべき感情や感覚を、感じないようにしようとしている。

ということになるからです。

3. 何を受け入れるの?

『受け入れる』ということを考える場合、『状況・状態・事象・人物』などを、その対象として認識するところがあります。これらは全て自分以外のことです。

何かを受け入れようとしているとき、本人は意識していなくても

■『受け入れられるべきこと』 = 『変わる必要は無い(変わらないもの)』というような思考が働いてしまっています。

つまり、自分以外のことを受け入れようと思った時点で、『その対象が変わらない』ということを受け入れ、かつ、『自分の何かを変えるしかない』と考える状態に、自分を追い詰めてしまっていると言えると思います。

そして、自分が変わることを考えた時、『自分が感じた』ということが一連の思考の動機になっている訳ですから、そこを打ち消そうとすることが、自己完結できることでもあり、一番手っ取り早い方法だと考え易いところがあるのだろうと思います。

このように、何かを「受け入れよう」としているとき、かなりの確率で『2』で説明したような状況に陥っていると考えられると思います

では、『1』で説明した前提を崩さずに受け入れる事のできるものとは、一体、何なのでしょうか?

それは、『1』で説明した前提そのもの、つまり、自分の感情や感覚なのです。

4. どうすれば受け入れたことになるの? 

「自分が苦しいということを受け入れる」という文章を読んで、「嫌だと思っても、楽にならないから困っているんじゃないか!」といった言葉が返って来るかもしれません。

たぶん、そう言いたくなるときは、『楽になること』を自分自身に強る状態に陥っている時ではないかと思います。

楽になることを自分に強いるのではなく、「そうだね、当然嫌だと感じるよね」というように思いながら、ただ、自分の気持ちに耳を傾けるだけでいいのです。

5. それで何が解決するの?

『嫌やだ』とか『苦しい』という気持ちを肯定するだけで、自分に対する理解が少し変わり始めます。

『4』の作業に真面目に取り組んでいると、『嫌な気持ちなのに、その気持ちを抱えながらも頑張っている自分』というものが次第に見えてきます。

「そんなちょっとしたことでは、何も変わらないだろう」と思われるかもしれません。

しかし、これは『ちょっとしたこと』ではありません。自分への評価が『嫌な気持ちを感じるダメな自分』というものから、『苦しい状況の中でも頑張っている自分』へと、これまでの認識を180度転換してしまうような大変革なのです。

ここまで来れば、『頑張っている自分』、『頑張って疲れた自分』に優しくしてあげたり、癒しを与えてあげたりできる状態になっていると思います。

あとは、それを実践していけば気持ちは回復していくのです。

ストレスを感じたとき、その対処のひとつとして気分転換という考え方があります。

確かにそれは効果的な方法なのですが、『4』の作業を疎かにしていると、現実の世界に戻ろうとするときに、戻りたくないような気持ちが直ぐに湧き起こってしまうことは多いと思います。

しかし、『4』のステップを意識するだけで、これまでと同じような気分転換の方法を行ったとしても、その後の気分は随分と変わるはずです。

また、これまで無理矢理何か別のことに打ち込もうとしていたところから意識が解放され、「とりあえず、ゆっくり休もう」とか「誰かに話を聴いてもらおう」とか、これまでとは違ったところにも意識が向くようになると思います。

その結果、自分の気持ちが回復(解決)し、目の前の課題を、自分にとっての正しい決断によって解決していけるようになるのだと思います。

6. まとめ

自分にとって好ましくない現実があったとき、それを『受け入れる』こととは、自分の感情や感覚を消そうとする事ではありません。

  • その状況で感じている自分の気持ちを認め
  • そんな気持ちでも頑張っている自分自身を認め
  • 頑張っている自分自身に優しくしてあげる

ということです。

つまり、『現実を受け入れる』のではなく、『自分自身の気持ちを受け入れる』ということなのです。

メルマガ編集後記【No.0013】

今回のメルマガでは、目の前に問題が生じているとき、その解決しようとするときに陥り易い「現状を受け入れる」という思考について考えてみました。

そして、「何かを受け入れる」ということを前提に説明した方が理解しやすいと思ったので、「受け入れるべきものは自分の感覚や感情である」という流れの説明をしました。

しかし、もう少し正確に説明しようとすると、少しニュアンスが変わってきます。

次の例で少し考えてみたいと思います。


【例】
例えば、小便がしたくなったら、特に深くは考えることなく当たり前のようにトイレに行って、用を足すことができると思います。

ところが、トイレに行くと100人以上の行列ができていました。


このとき、どのように考えるでしょうか?

恐らく、次のような対立する言葉が、脳裏を横切るだろうと思います。

  • 用を足せる/用を足せない
  • 我慢できる/我慢できない
  • ついていない/ついている

ここから考えると、「私たちの自然な営みが妨げられた時このような対立する言葉が浮かぶ」というように考える事ができると思います。

そして、自然な営みを完結できたとき、その考えから解放されます。

逆に考えると、私たちがこのような対立する言葉を意識してしまっている時、「私たちの自然な営みの某かが妨げられている状態」と考えることもできるのではないかと思います。

私たちは、過去の経験によって、対立するどちらかの言葉を、解決策、または、問題点として認識するような傾向性を身につけてしまっているところがあります。

しかし、それらの言葉のどちらの側に立ってみても、それを深く掘り下げてみたとしても、大して意味のあることとは思えません。

なぜなら、放尿したいだけなのですから。

対立する言葉のどちらかについて深く掘り下げる事ではなく、どうやって放尿するのかを考えることが大切なのです。

直ぐ近くに空いているトイレがあることに気付いたり、さっきまでの行列がもうなくなっていることに気付いたりするだけで、それは済ませることができるかもしれません。

この例のように、生理現象であれば、割り合い理解しやすいところがあると思います。

そして、生理現象以外にも私たちにとっての自然な営みはあるということを認識する事が大切です。

  • 嬉しいときには喜ぶ
  • 悲しい時には泣く
  • 寒ければ暖かくなるようにする
  • 苦しい時には泣く
  • 疲れたら休む
  • やる気の出ないときは、無理にやろうとしない
  • いじめられたら悲しい
  • 褒められたら嬉しい
  • 失敗したら悲しい

挙げればキリが無いのでこのくらいにしておきます。

最後にメルマガの内容をトイレの例で表現しておきます。あなたは、放尿したかったということを忘れてませんか?

そのことを思い出して、さっさと用を足してしまいましょう

ちなみに、何をすれば放尿したことになるのかというと、「理解してくれる人に、感情や感覚を話し、聴いてもらうこと」です。(事実や評価を話すだけでは、放尿できません!)

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