第03回 悩みの原因を追究すること(号外)
(2005/04/14)
原因を理解しようとすることは、自分の祖先を調べていくことに似ているかもしれないと思います。
自分の1世代前は父親と母親、2世代前は父親の「父親と母親」と、母親の「父親と母親」・・・・
というように、先祖を1つに特定するというよりは、逆ピラミッド型の無限の広がりを感じることになると思います。
同じように、何かの原因を求めて過去をさかのぼろうとすると、原因を特定するつもりが、逆に、複雑に絡み合う過去の多くの出来事に考えが及んでしまいます。
そうなると、思い出す過去の記憶も膨大なものになり、その全体を把握することは、とても難しくなると思います。
また、多くの記憶によって混乱してしまうので、関係のないことまで原因のように感じてしまって、原因を追究する前よりも苦しい気持ちになってしまうかもしれないという心配があると思います。
原因追求するときの傾向
自分にとって「良いこと」、「悪いこと」、それぞれの原因を追求について、少し考えてみます。
「良いこと」についての原因追求をする時は、原因らしき適当なものが見つかれば、追求をそこでひと段落させることは多いように思います。
しかし、「悪いこと」に関しては、適当な事象が見つかってもそこで止めることが出来ずに、より深く考え続けてしまいがちなような気がします。
この違いは
・「良いこと」の原因を考える場合、もともとの気分がスッキリしている
・「悪いこと」の原因を考える場合は、もともとの気分がスッキリしていない
という差からくるのかもしれないと思います。
つまり、「悪いこと」について考える場合、原因と思われることが見つかっても、もともとの「スッキリしていない気分」に変化がないので、それが本当の原因ではないように感じてしまい、どんどん先を考えてしまうのではないかと考えています。
そして、スッキリすることが目的だった原因探しが、知らないうちに、原因探し自体が目的に置き換わってしまい、なかなか抜け出すことができなくなってしまうような気がします。
この2つの点から、原因を追究しようとする前に、まず、そのきっかけとなった『もともとの気持ち』をきちんと見つめることが、とても大切だと思います。
『もともとの自分の気持ち』に気付くことは、今まで気付かなかった本当の気持ちに気付くことにつながるかもしれません。
そして、気付いた「本当の気持ち」を大切する方法を考えることは、「気持ちをスッキリさせるための具体的な方法」に気付くことを、きっと手伝ってくれるのではないかと思います。
私が書かせて頂くコラムの全体を通して、『今の自分の本当の気持ち』を大切にする為のきっかけになるような事をお伝えできればと願っています。