心を楽にするために振り返る子育て

第09回 「駆り立てる心の感覚」と「駆り立てられた反応と行動」(その2)

(2005/08/18)

前回は、慣れていない特定の状況で感じる『違和感』によって、自分の望みとは違うものに引き寄せられてしまうことがあるということを説明しました。

今回は、特に意識していない状況でも感じてしまうことがある同様の感覚について、考えてみたいと思います。

例えば、「しばらくの間、君は自由だ!」と言われたとします。

初めのうちは、開放感につつまれるだろうと思いますが、「自分は、何もしていない」、「自分は、何の役割も負っていない(自分は、何でもない)」という状況が長く続くと、「本当に、これで良いのだろうか?」といった疑問を持ち始め、落ち着かなくなったり、何となく苦しい気持ちになったりする事があります。

しかし、苦しい感覚を感じていても、『自由』という何の制約もない状況では、その具体的な原因が見つからないのは当然のことだろうと思います。

ですが、何とかして苦しさの原因を理解し解決したいと思うので、「自分の心に原因があるのかもしれない・・・」とか、「自分をこのような状況に置く人や環境に原因があるのかもしれない・・・」というような『漠然としたこと』に原因を求めなければならなくなってしまいます。

そして、たまたま気になったことを真の問題と考えて解決しようとしてしまうのです。

【例】

・「出世すると自信がつくかもしれない」と考え、出世する為に具体的な目標を立てて行動する。

・「生きる意味とは?」といった命題を作り出して、その答えを見つけることで解決しようとする。

この一連の流れの発端となる感覚を

『何もしない自分』、『何でもない自分』でいることに慣れていないことによって感じる『違和感』

と理解してみると、何かが見えてくるかもしれません。

もし、『何もしない自分』、『何でもない自分』に慣れていないということだけで、解決不能な課題を設定し、それに取り組むように駆り立てられてしまっているとしたら・・・・。

冷静に振り返ってみると、「普段の生活の中も、自由な時間が結構あった」と気付くのではないかと思います。

ですから、普通に生活している中で、同じような『違和感』をもってしまっても、そんなに不思議ではないような気がしています。

ですから、もし、何もしていない時に、「何かをしなければならない」という駆り立てられるような感覚があるときは、「何もしないことに慣れていないから『違和感』を感じているだけなんだ」と理解して、解決しようとせずに放っておくことは、実は、一つの解決方法なのかもしれないと思います。

そして、ただ慣れていくだけで『違和感』は次第に薄れて、今まで気付かなかった本当の気持ちが、自然に浮かび上がってくるようになるのかもしれません。

もし、ただ放っておくことが難しいと感じるときは、次のような事を考えてみると、これからの自分にとっての、何かのヒントをつかむきっかけになるかもしれません。

● どのように行動することに慣れてしまったのだろう?

● どのような役割を持つことに慣れてしまったのだろう?

● 過去のどのような経験から、それに慣れてしまったのだろう?

『違和感』の正体を理解しないままに、その時々に、たまたま気付いた課題を解決しようとしても、本当の解決にたどり着けることは、少ないのではないかと思います。

課題に取り組んでいるときは、「もしかしたら、解決するかもしれない・・・」という予感によって救われるところもあるかもしれませんが、課題を成し遂げて『解決の予感』が消えてしまった時、あの『違和感』が、再び心の中に浮かび上がってくるのかもしれません。

タイトルとURLをコピーしました