05. 『普通』という言葉について
読むカウンセリング【No.0004】 2005/01/17
こんにちは、「ピュアハートカウンセリング」カウンセラーの田中順平です。
最近、『これを読めば、悩みから解放される』というようなまとまった文章が書
けないものかと取り組んでおりまして、メルマガの発行に、間が空いてしまいま
した。
3月の初めには、1冊の本のような形にまとめることが出来ればと考えています。
『普通』という言葉について
私たちは、何か問題と感じることに直面した時に、『普通』ということを意識することが多いのではないかと思います。
- こんな時、普通は、~~~するだろう
- こんな時、普通は、~~~しないのではないか?
- こんな時、普通は、どうするのだろう?
何かを思い悩んでいない時は、この『普通』という言葉は、それほど問題ではないのですが、何かに悩み込んでしまったときは、当然のように使ってしまいがちな『普通』という言葉の持つ意味について、ちょっと、ゆっくり考えてみることが大切だと思っています。
1.『普通』の成り立ち
社会規範的な部分、特に法律等のように明文化されていることは、その社会に属している限り、守っていく必要があります。
その法律がおかしくても、新たな法律が社会で承認されるまでは、『その時々に有効な法律を、普通のこととして守ること』は、その社会に属する人たちの義務だろうと思います。例えば、お店の商品を盗むと、普通、警察に逮捕されます。
今回のメルマガでお伝えしたい事は、『社会規範的な普通』以外の文脈で使われる『普通』という言葉に関することです。
例えば、次の2つの文章を読んでみて下さい。
(1)テストで、70点を取ったら、普通、ガッカリするだろう
(2)テストで、70点を取ったら、普通、満足するだろう
(1)、(2)のどちらか一方の文章がすんなりと読めて、もう一方の文章に違和感のようなものを感る方は多いのではないでしょうか。
ここで重要な事は、(1)と(2)のどちらに違和感を感じるかは、人それぞれだということです。
この感じ方の違いを『価値観の違い』と結論付けることもできますが、私は、『過去の同様の場面で慣れ親しんだ経験の違い』と理解した方が、本当のところに近いのではないかと考えています。
『経験の違い』とは、その経験によって自分に生じる『感情の違い』です。前の例で説明すると、『出来事』だけに焦点を当てると『70点を取った』という事実しか残りません。
しかし、事実は同じでも、(1)と(2)の感情の違いから、(1)と感じる人と(2)と感じる人は、同じ経験をしていないということは、何となく分かって頂けるのではないかと思います。
それでは、この『感情の違い』は、どうしておきるのでしょうか。
この『感情の違い』はそれぞれの人が置かれている『背景の違い』によって、生じると考えています。(家庭的な背景、社会的な背景、人間関係の背景など)
例えば、次のような背景があったとします。
(a)70点を取れば、いつも、親が喜んでくれた
(b)70点では、親が不機嫌になって厳しく説教された
実際は、こんなに単純ではないかもしれませんが、同じ『70点』という点数でも、背景によって感情が変化することは、想像して頂けるのではないでしょうか。
そして、自分を取り巻く色々な背景によって、もともとは自由だった心に、人それぞれに固有の枠が形成されていくのです。
この枠は、その人にとっては、日常のことなので、例え、それが自分にとって苦痛な事であっても、『異常』と認識しては、辛くて生きていくことが出来ません。
そこで、自分の感情の方を、自らゆがめて、『普通』という枠組みの中で物事を理解しようとするのです。
2.『普通』は自分の気持ちを理解するヒント
例えば、自分が酷く落ち込んだ時、次のように考えてしまったとします。
・こんな時、普通は、こんなに落ち込まないだろう
・こんな事で落ち込んでしまうのは、自分の心が弱いからだ
もともと、自分にとって、自分の感覚や感情以上に正しい事などありません。
ですから、自分が落ち込んでいるということは、誰が何と言おうと、自分にとって最も確かなことなのです。
しかし、特に、ネガティブな感情や感覚を感じたとき、『普通』という言葉を引き合いに出すことで、自分自身を否定してしまいがちなところがあるように思います。
どうして、そのような思考の傾向性になってしまうのでしょう。
「1.『普通』の成り立ち」の説明を踏まえて、
■『こんな時に、落ち込んではいけない』という背景が、自分にはあるのかもし
れない。
ということを考えてみると、そのヒントが見つかるかもしれません。
- 過去、あなたが落ち込んだ時に、あなたにとって大切な人は、あなたと、どのような関わりをしましたか?
- そんな関わりが繰り返される中で、あなたは、何かを諦めて、そんな関わりを普通のこととして受け入れてしまったかもしれません。でも、それを普通と受け入れる前のあなたは、本当は、どのような関わりをして欲しいと望んでいましたか?
- 本当はそうして欲しかったのに、そうしてもらえなくて、どんな気持ちになりましたか?
そんな風に、自分の感情の背景を理解しようとすると、誰も諦めろとは言っていないにも関わらず、自らが『普通は・・・』という言葉を使って、諦めることを繰り返してしまおうとしていることに、きっと、気付く事が出来ると思います。
そして、その気付きは、『自分の本当の気持ち』を思い出し、その気持ちを大切に出来る方法を考え始めるきっかけになるかもしれません。
3.最後に
『普通』と同じようなニュアンスで使われる言葉に、『みんなは』『~すべき』という言葉があります。
前回のメルマガの内容とも関係するのですが、ある事柄に意識が集中していない限り、そのような言葉は、あまり出てきません。
それは、自由な意識では、ある事柄に対する対応は、その時々の様々な要因によって変化するということを、無意識に理解しているからです。
逆に、『普通』をはじめとするそれらの言葉を使ってしまっているときは、自分が使ってしまった言葉を意識させられた背景が存在する場合がほとんどです。
そこで、なお、意識している事柄に目を向けてしまっては、これまでの繰り返しに
なってしまいます。
ですから、悩みから抜け出すためには、意識している事柄に目を向けるのではなく、『意識させられた背景を理解しようとする』ことが大切です。
自分がそれらの言葉を使ってしまう背景を理解する事は、自分の本当の気持ちに気付き、自分自身を閉じ込めていた壁のようなものから自分自身を解放していくことを、きっと手伝ってくれるだろうと思います。
メルマガ編集後記【No.0004】
今回のメルマガの内容を、簡単に説明すると、『普通』とは『慣れている』ということです。
右利きの人が、左手でお箸を持つと、違和感を感じます。逆も、同じです。
同じように、例えば、小さい頃に、親から「お前はダメだ!」と言われ続けると、大人になった後でも、「君は素晴らしい!」と褒めてもらえても、ウソ 臭く聞こえてしまうのです。
逆に、「お前はダメだ!」と言われると、「この人は、本当の事を言ってくれている」というように、その人が誠実であるかのような錯覚すら感じてしまうことがあります。
ですから、恋愛などで
1.第一印象的な部分で、人の好き嫌いを決めてしまう傾向がある
2.加えて、そのように選んだ人との人間関係で苦しい思いをしてしまうことが多いというような傾向があるとしたら、まず、自分の背景を理解しようとする事は大切かもしれません。
自分の背景を理解する事は、自分自身に優しくしてあげる事に、きっとつながると信じています。