12. 「あの頃の自分」に戻りたい
読むカウンセリング【No.0011】 2007/07/21
ご無沙汰しております。またまた、半年ぶりの配信です。
「あの頃の自分」に戻りたい
原因の分からない心の苦しみを感じていたり、心理的な要因から生じると思われる身体症状を抱えている時に、『あの頃の自分に戻りたい』と過去の状態に戻ることを願うことがあります。
しかし、そう望んでしまうから、逆に、今の心の苦しみから抜け出すことができなくなってしまうところがありますので、今回はそのあたりのことを説明させて頂こうと思います。
1.「あの頃の自分」を望むこと
「あの頃の自分」を振り返るとき、次のような表現が用いられることがとても多いと感じています。
- あの頃の自分は、嫌なことにも、立ち向かう事ができた
- あの頃の自分は、自分のやりたいことに前向きに取り組む事ができた
- あの頃の自分は、色々な事が楽しむことができた
そして、それらの言葉の後に、「でも、今の自分はそうではない・・・」と締めくくられます。
しかし、そのように認識してしまうと、「何も原因は無いのに、突然、今のような心の状態になってしまった」というように理解につながってしまいます。そうすると、心の苦しさの原因を自分の心に求めるしかなくなり、自分の心を責めてしまうな状態に陥ってしまいます。
2.視点を変える
そんな苦しい状態から抜け出すには、視点を次のように変える必要があります。
- あの頃のように過ごしていたら、今のような状態になってしまった
これは、今まで『目標』としてきたことを、『原因』と理解し直すということですから、普通、急には、なかなか受け入れられないところだと思いますが、もう少し、私の文章に付き合って下さい。
3.実際のところ、あの頃の自分って?
戻りたいと思っている「あの頃」は、「嫌な気持ち」に焦点を当てて理解しようとすると、大体の場合、次のいずれかに当てはまることが多いような気がします。
1.自分にとって嫌なことが、長い間たまたま起こらなかった
2.嫌な気持ちを感じていないことにすることができていた
3.嫌な気持ちを我慢することができていた
4.嫌な気持ちを、自分にとって良さそうなことに打ち込むことで、帳消しにしたことにできていた
1.の状態が、人生の初めから終わりまでずっと続けば問題ないのですが、そんなことはありえません。人生の中では、嫌な気持ちになることに、必ず、何度も直面します。また、ある1日をとってみても、小さな嫌な気持ちは何度も感じていると思います。そして、その嫌な気持ちは、本人がいくら意識しないようにしてみても、確実に心に負荷を与え、その疲労が心に蓄積されていきます。
ですから、2.~4.のような対処をしていては、やがて、心や体が悲鳴をあげる状態になるのは、自然なことかもしれないと思います。
つまり、「今の自分を責め、あの頃の自分に戻りたい」と願っている場合の『あの頃の自分』は、「自分に生じた嫌な気持ちを無視していた」ということが共通していて、その無理がたたって心や体が悲鳴をあげたと理解できると考えています。
4.目指す方向
たぶん、「あの頃の自分に戻りたい」というのは、楽になりたいという意味で使っているのだろうと思います。
しかし、心が悲鳴をあげた理由を理解せずに、漠然と「あの頃の自分に戻りたい」と考えていると、嫌な気持ちになった時は、無意識にあの頃と同じ対処をしようという決意が入り込んでしまいます。
つまり、自分に嫌な気持ちが生じた時、再び、その気持ちを無視しようとしてしまうということです。そうすると、苦しみの解決を目指しているはずなのに、結局、なぜか、また、苦しい気持ちに陥ってしまうということを繰り返してしまいます。
ですから、「あの頃の自分」は今の自分が目指すべきところではなく、大切な思い出の一つくらいの位置づけにして、それに囚われないようにすることが大切だと思います。
あの頃の自分に戻らなくても、
あの頃よりも、もっと楽な自分になれるのですから!!
その為に、心が悲鳴をあげないように、「嫌な気持ち」にきちんと対処する方法を身につけようとすることが大切です。
5.心を苦しめる暗示
「泣いていても何も変わらない」という言葉は、なぜか、今の社会では、当たり前のことのように受け入れられているような感じがしています。
確かに、目の前にある具体的な問題は、実際に何らかの働きかけをしなければ何も変わりません。
しかし、心の問題は別です。詳しいことはここでは書きませんが、泣けば、何かが必ず解決します。
つらさが倍増するので、一人きりで泣いてはいけません。誰かに見守られながら、とことん泣くことができれば、嫌な気持ちは安心な気持ちで置き換わっていくのです。
そんな安心して泣ける環境が整わない時、『まず、心を安心にする』ということができないので、目の前の問題に取り組むしかなくなるのです。そんな時、仕方なく口からでる言葉が、「泣いていても何も変わらない」だったのではないかと想像しています。
誰かに見守られながら、とことん泣くことができれば、心に映る世界は変わります。「泣いていても何も変わらない」という洗脳から解放されるだけで、今まで解決できなかった心の苦しみは、その都度解決できるものに変わるのです。
メルマガ編集後記【No.0011】
メルマがでは「泣けば心は安心になる」というような書き方をしました。
(バックナンバー:メルマガ「読むカウンセリング」(No.0011) 「あの頃の自分」に戻りたい)
しかし、いきなり「泣け」と言われても、多分、ほとんどの場合泣くことなどできないと思います。
では、実際の場面では、どのように対処すれば良いのでしょうか?
それは、「正しく相談」するということを意識すれば良いのです。
ここで相談と愚痴の違いについて説明しておきます。
普通、相談と思われている行為は、出来事や状況の説明し終始することがとても多いように感じています。
この場合、相手の反応と自分の達成感という2つのポイントがありますので、その2つについて説明します。
1.相手の反応
本人は、一生懸命説明しているのですが、それを説明された方は、どのように対処したら良いのか困ってしまいます。
そして、それなりに精一杯考えて
- 問題の解決方法を考えて教えてあげたり
- 自分の経験談を話したり
- 自分の考えを話したり
- 一般論を引き合いに出しながら励ましたり
大体、そんな対応になりがちになってしまいます。
しかし、そのようなやりとりで、相談した側が満足できるのは、相手が自分とおなじように評価していると感じられたときに限られます。
たとえば、誰かの悪口を言ったとき、相手が同じようにその誰かのことを悪く言ってくれて、初めて、何となく心が満たされたように錯覚することができるような感じです。
しかし、実際は、ものごとには、いろいろな側面があり、また、それを評価する人にもさまざまな価値観があり、自分と同じように評価することを相手に強いるのはかなり難しいことです。
ですから、自分の好ましい反応をしてくれた人にこだわり、その人にこだわってしまうようになってしまうこともあります。
2.自分の達成感
誰かに嫌なことについての説明をしても、言いたいことが話せていないような、未達成感を感じることがあります。
そして、その未達成感があるから、また、別の人にも同じような話をしてしまったり、別の機会に同じ人に同じ話を繰り返してしまったりします。
たとえば、自分のコンプレックスをのようなものを、新しく出会ったこれから友達になるかもしれない人すべてに話さないといられないような感じがするのも同じようなことかもしれません。
しかし、実際問題、すべての人に自分の悩みを打ち明けることなどできませんし、それで、何かが解決するとも思えないのは、その人自身が知っていることだと思います。
これは、肝心なことを話せていないことから陥る感覚だと考えています。
ではどうすれば良いのか?
あえて難しい表現をすると、客観を話すのではなく主観を話さなければ相談にはなりません。
そして、きちんと相談できれば、気持ちは楽になるのです。
これが、今回のメールマガジンのポイントです。
・あいつは、こんなことするなんて、本当に嫌なやつだ
ではいけません。
・あいつに、こんなことをされて、自分は嫌な気持ちになった
という感じです。
もっと省略してもいいかもしれません。
・自分は嫌な気持ちになっている
このことを相手に理解してもらうことが大切なのです。
「自分が・・・な気持ちだ」と言えば、相手は、「そうか、そういう気持ちなんだな」と受けるしかなくなります。
相手の価値観に左右されるところは排除されるのです。
そして、相手は、それだけでは理解できないので、「ところで、どうしてそんな気持ちになったの?」と、自然な流れでもっと理解しようとしてくれることは多いと思います。
苦しかったりつらかったりするときは、そんな会話をしていると、自然に涙が出てきることも多いと思いますし、泣かなくても、気持ちは次第に楽になっていくはずです。
事実関係ではなく、気持ちを話す。
事実関係のことは、そんな気持ちになった事情を理解してもらうための補足説明程度の位置づけでしかないのです。
気持ちをきちんと話す。
それが、愚痴を繰り返すことから脱し、きちんと相談し気持ちを楽にすることにつながるのです。
気持ちをきちんと話す。
私たちは、自分がどう感じているのかを、きちんと分かってほしいだけなのです。
だから、気持ちを話さなければ、何も始まらないし、そして、何も終わらないのです。
そして、ひとりの人にきちんと話すことができれば、他の人に話す必要はなくなります。
しかも、話した相手にすがるような囚われからも回避できるのです。