17. 『夢』という言葉について
読むカウンセリング【No.0016】 2008/12/21
『夢』という言葉について
今回は、「私の夢は~」とか「将来の夢は~」という文脈で用いられる『夢』という言葉について考えてみたいと思います。
1.『夢』の時制
●『夢』とは、いつのことを指すのでしょうか?
少し考えてみて下さい。
一般的には『未来』の事象を指すと認識することが多いと思います。
しかし、実際は、そうではないのです。
次の問いを考えることがヒントになると思います。
●『いつ』の『誰』が未来というところに夢を設定したのですか?
ヒントの問いの答えは、
■「将来、そうなりたい」と『今の自分』が望んでいる
ということになります。
つまり、夢とは未来にあるものではなく、今の自分の気持ちの中にあるものなのです。
このことから、『夢』よりも『今の自分の望み』という言葉の方が、その本来の意味していることを正確に表現しているのではないかと考えています。
「パイロットになりたい」「医者になりたい」「役者になりたい」・・・・全ては、今の自分が望んでいることです。
そんな『今の望み』を見つめると、今したいことが新たに生じてきます。
パイロットになりたいと望めば、例えば、航空大学に合格するために勉強をしたくなってくるのです。
今の望み(将来の夢)をかなえるために、今の望み(今したいこと)を今する。
この状態をあえて『夢』という言葉を使って表現すると、
■将来の『夢』のために、今も『夢』の中で生きている
ということができるのだろうと思うのです。
2.『夢』という言葉は捨てる
『夢』を『今の自分の望み』と言い換えると、その対象が、一般的に夢として取り上げられがちな目標(職業や地位や裕福さなどの固定的な状態をさすことが多い)にとらわれる必要がなくなります。
職業のことに限らず、家庭のこと、趣味のことをはじめ、通勤や通学の途中、家事の最中をとってみても、自分を取り巻く全てのことに、自分の望みが満ち溢れているのですから・・・。
そして、そんな様々なことに対するその時その時の望みが、いつも自分の心の中で変化しながらも、継続的に存在しているのです。
『自分の望み』というと大そうなことを考えてしまう人も多いようですが、トイレに行きたかったらトイレに行くし、駅前のラーメン屋でラーメンを食べたくなったら食べに行く位の些細な望みの積み重ねなのです。
そして、将来の夢も、そんな望みの一つに過ぎないのです。
これは、夢を軽視して言っているわけではありません。
夢を持つことはとても大切なこと(というか楽しいこと)です。
しかし、重くとらえ過ぎて、夢に囚われてしまう必要はないということです。
ですから、自分のことを考えるときは、『夢』という言葉は捨てて、『今の自分の望み』という言葉を使った方が、混乱しなくなると思います。
また、「今の自分には夢はない」といったような禅問答的な悩みを抱えることを回避できると思います。
3.『本当の望み』を捨て続けると・・・
『夢』という言葉で、その時その時に変化する自分の望みを固定してしまっていると、『夢』を実現してしまったときに、生きる意味を見失ってしまったような錯覚に陥ってしまうことがあります。
それまで、『夢』という言葉を使って、その時その時の自分の望みにフタをして気付かないように訓練をしてきたのですから、『夢』を実現して固定化された目標がなくなってしまえば、その時その時の自分の望みに気付くことができないので、望みも夢もなくなったように感じてしまっても無理はないのです。
これが、5月病や燃え尽き症候群や空の巣症候群などと呼ばれている状態に陥る要因の一つだろうと思います。
『自分探し』といわれる行動の動機にもなるのだろうと思います。
4.今の望みが、次の望みにつながる
その時その時に自分に生じる望みを犠牲にしてまで、パイロットになる必要はありません。
その時その時の自分がパイロットになりたいと思っているのなら、その方向に進んでいけば良いのです。
その時その時の望みの方向に進んだ結果、足跡のように『自分にとって大切なもの』が残されていきます(自分が望んでいないことでも、自分が進んだのなら、同様に足跡は残されていきます)。
その大切なものが自分を満足させ、自分のもともとの夢へと向かわせる原動力になることもあるかもしれませんし、別の夢へと向かわせることもあるだろうと思います。
パイロットになろうと、自分の望みと向き合いながら一生懸命に努力した結果、パイロットになることもあります。
そして、パイロットを目指した結果、一流のシェフになってしまうこともあるのです。
過去のある時点のたった一つの望みにとらわれず、そして、社会や他の誰かから与えられた目標にとらわれずに、その時その時に生じる自分の望みと向き合い、望みの方向に進み続けることが、今の望みを大切にすることにつながり、次の望みにつながっていくのだろうと思います。
駅前のラーメン屋に行くのを我慢して勉強するよりも、駅前のラーメン屋に行って、その分頑張って勉強したらいいのです。
5.『夢』のために犠牲は要らない
●何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならない
●自分の欲しいものを手に入れるためには、何かを犠牲にしなければならない
などという言葉を耳にすることがあります。
しかし、これまで説明した内容を理解できると、『夢』をかなえるために、犠牲にするものなど何もないということに気付いて頂けると思います。
繰り返しますが、将来の夢は今の自分の望みです。「夢のために、今の自分が何かを我慢する」というのでは、『今の望みのために、今の望みを我慢する』という矛盾した状態になってしまいます。
ある人の行動が、他人からは何かを犠牲にしてパイロットを目指しているように見えたとしても、本人にとっては、『パイロットになりたいから、パイロットになることに結びつくと考えた行動をしている』ということです。
全てが今の自分の望みの中にあるわけですから、別に何も犠牲にすることはなりません。全ては、夢の中の行動なのですから・・・。
ですから、もし、夢のために何かを犠牲にしている感覚が自分自身にあるとしたら、今取り組んでいることは、本当の望みとは離れたところのことである恐れがあります。
将来の自分のために、それを実現したとしても、将来の自分が、その時にそれを望んでいるとは限りません。
時が流れて、『今、未来と思っている』その時が巡ってきたとしても、そこには『今』と『自分』しか存在しません。今と何ら変わりはないのです。
ですから、『たった今』の自分の望んでいることに気付かなければ、同様に、未来の自分がその時の自分自身の望みに気付くことはできないのです。
6.望みをお預けにする言葉
余談ですが、『夢』という言葉を、直ぐに叶う自分の望みをお預けにする言葉として使ってしまっていることがあります。
例えば、「ハワイ旅行が夢」などと言って、いつまでもハワイにいくことを先延ばしにしているようなときです。
もし、お金があっていつでも行けるとしたら、いつまでも先延ばしになどしていないで、明日行ってしまってもいいのです。