ちょっと、心には直接関係ないのですが、経済的なことを書いてみたいと思います。
最近の若い人たちはどうか分かりませんが、私たちの世代が子供だった頃は、
- 食べ物を粗末にしない
- お年寄りを大切にする
といったことを、身近な大人たちやテレビドラマのセリフなどを通して、よく聞かされたものです。
その頃は、あまりそれらの言葉の意味を理解できずにいましたが、年を重ねた今、ようやく、それらの言葉の大切さが分かり始めたような気がしています。
今回は、このうち「食べ物を粗末にしない」について書きます。
デフレ経済に突入して以来、20年近くの間、テレビや新聞、雑誌などを見ていると
- 経済を良くしなければならない
- 株価を戻さなければならない
というようなことばかりに社会的な意識が向かい、何かといえば「景気対策」が話題になります。
(いまだに、「株価を戻す」という表現をしていることは滑稽です。)
詳しく説明しませんが、極論すれば、
- 経済とは、お金を利用して、食物を配給するしくみ
ということが出来ます。
- 働かざる者食うべからず
という言葉がありますが、この言葉もそのようなことを表わしているのかもしれないと思えます。
なぜなら、逆から言えば、
- 働いた人は食べなさい
と解釈できるからです。
食事の後、お茶碗にご飯粒がついていると
- お百姓さんが一生懸命に働いて作ってくれたものだから、感謝して残さずきれいに食べなさい
- たった一粒と思うかもしれないけど、日本人が全員、ご飯を一粒ずつ残すと、ものすごい量になる。だから、残さずに食べなさい
といった話も、繰り返し聞かされました。
これらの言葉は、日本の歴史の中で、私たちの祖先が、「食べ物を粗末にすると、世の中の人が幸せになれない」と学びとり、日本の文化として根付いたもの(根付いていたもの)ではないかと思います。
「食べるために働く」という言葉は、一応、今でも使われていますが、「食べる」という意味が曖昧になってしまい、「お金のために働く」というニュアンスになってしまっているように感じます。
(「食べ物を買うために働く」という方が本質に近いと思います。)
そして、結局、お金の世界になってしまったように思います。
アベノミクスも良いですが、この国の舵を取る役割を担っている人たちは、まず、「経済の役割は、食べ物を人々に行き渡らせること」ということを押さえた上で、進むべき方向を定めていくべきだと思います。
大きなくくりで言えば、例えば、次のような考え方を取り払うことは大切です。
- 「賞味期限」という考え方
- 「規格外」という考え方
- 「食べられるものを廃棄する」という考え方
全て、「食べ物を人々に行き渡らさせる」という経済の根本に逆行する考え方です。
細かいところを言えば、
- 納豆に、使われるかどうか分からない「からし」を一律につける
ということも、食べられるものを捨てることと同じなので、そのような慣習がなくなるように働きかけた方が良いと思います。
「食べ物を粗末にしない」と似たような言葉に「ものを大切にする」というものもあります。
- 捨てるものを作ること
- 直ぐに壊れて捨てるものを作ること
- 使えるものを捨てること
をやめれば、人々が過労死するような労働から解放されると思います。
日本はもともと、
- 「ものを大切に作り、大切に使う」
- 「食べ物を、ありがたいと思って食べる」
という八百万の神に感謝するような文化だったはずです。
そして、捨てる文化ではなかったはずです。
日本の舵取りをする人は、日本文化の流れを生かした舵取りは出来ないものかと思います。
「改革には痛みが伴う」とよく言われますが、貨幣経済にばかりこだわった改革もどきでは、痛みはあっても、次に待っているのは、次の「痛みをともなう改革もどき」、つまり、いつまで経っても痛みだけしかないような気がします。
経済の本質(食べ物を人々に行き渡らせること)を押さえない経済対策は、それを繰り返すだけだと思います。
そうやって、20年もの月日を費やしてきたのです。
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