15. 『自信』について
読むカウンセリング【No.0014】 2007/12/21
『自信』について
『自信がある』『自信がない』という言葉は、私たちは当たり前のように使っていると思いますが、それが一体何なのかということは、ほとんど把握できていないのではないかと感じています。
今回は、そんな『自信』という言葉について、ちょっと、詳しく考えてみたいと思います。
1.一般的に使う『自信』の意味
【例】
何かみんなの前で発表することになったとします。
それは、自分が得意とする内容の発表です。
資料を揃え、発表の準備も整いました。
でも、何となく自信がありません。
こんな時、どうするでしょう?たぶん、資料をチェックしたり、想定問答を考えたりするなど、心配な点を具体的に洗い出して、それを解決する事で、自信をもって発表に望むことができるという流れになるだろうと思います。
つまり、『自信』は何らかの具体的な対処をすれば、割り合い直ぐに手に入れることができるものなのです。
2.悩んでいるときに使う『自信』の意味
しかし、悩んでいるときに使う『自信』は少しニュアンスが違います。どんなに不安なポイントを洗い出して対処したとしても、『自信がない』と表現している感覚が消えることなく残ってしまうことが多いのです。
人は、『ない』と認識することによって、その逆の『ある』という状態があたかも存在しているように思ってしまうところがあります。
『自信』はそういった類の言葉です。そして、この『自信が無い』という言葉の裏返しとしての『自信がある』という状態が、あたかも存在しているかのように錯覚してしまっているというのが、悩んでいるときに使う『自信』の意味だと考えています。
ですから、『自信』があるとかないとかいうややこしい話ではなく、ただ、不安なだけなのだろうと思います。
3.不安に対する反応
この何をしても消えない不安な感覚に対して、アクティブに反応すれば『完璧主義』的な行動をとるようになり、逆に、ネガティブに反応すれば、臆病になり自分らしく振る舞うことが難しくなったりするのだろうと思います。
一見、両極端な行動パターンなのですが、この両者が反応しているのは、同じものなのです。
ですから、その本質を見極めるためには、反応の仕方に意識を向けるのではなく、何に反応しているのかという方に注目する事が大切だと考えています。
本人は、完璧主義を貫きたいわけでもなく、また、臆病者なわけでもなく、ただ、不安な気持ちから解放され、安心な気持ちになりたいだけなのです。
そして、その具体的な方法が分からなくて、困ってしまっているのです。
或いは、その最善策だと信じて現在採用中の方法がうまくいかなくて困っているのです。
4.【補足】『ない』とか『ある』とかいうこと
『自信』以外にも、『ある』とか『ない』とかいう思考に陥り易い言葉は色々あります。
『友達』や『幸せ』という言葉を例に、もう少し説明しておきます。
【 友 達 】
『友達』という関係があると思と、自分に『友達』がいるかどうかが気になってしまうところがあります。
たぶん、『友達』という言葉を意識している時は、「人と、こういう関わりをしたい」という願いがあるのに、それがうまくいかなくて困っていることが多いのではないかと思います。
そして、「友達になれたら、きっとそれがうまくできるだろう」という仮説立てて、その仮説を信じているのだろうと思います。
でも、『友達』が契約によって成立するわけではないので、いくら考えても、或いは、相手に確認したとしても、自分と相手が『友達』という関係であることを立証することはできません。
仮に何らかの契約によって、それを成立させることはできるかもしれませんが、本当に求めていることはそんなことではないので、次第に虚しさのようなものを感じるようになり、再び、もともと感じていただろう「本当の『友達』が欲しい」というような思いに引き戻されてしまうのがオチではないかと思います。
ですから、『友達かどうか』というこだわりから意識を外して、「自分は誰とどのような関わりをしたいのか」ということを具体的に考えることが大切です。
そして、その為の行動を起こせたとき、本当に手に入れたかったものを手に入れることができるのだろうと思います。
そんなコミュニケーションを取り合える関係になれたとき、自分自身が相手のことを『友達』と認めることができるのだろうと思うのです。
【 幸 せ 】
『幸せ』というものがあると思と、今の自分は幸せかどうかが気になってしまいます。
しかし、『幸せ』という具体的なものは存在しませんから、それを客観的に証明することはできません。
漠然と『幸せ』というものを意識すると、良い出来事や良い環境など、何か良いことだけに囲まれた人生が『ある』ように思えてしまいます。
しかし、良い出来事も悪い出来事も、恐らく全ての人に等しく訪れるものなので、悪い出来事を避け続けることなど出来ないだろうと思います。
仮に、しばらくの間は運良く悪い出来事を避け続けることが出来てたとしても、いずれ、必ず、悪い出来事に遭遇するときがやってきます。
そんな時、『幸せ』ということを意識していると、「私は、ついてない」とか「今の私は、何て不幸なんだろう」とか「幸せになりたい」などと考えてしまうのだろうと思います。
しかし、『幸せ』という言葉を捨てて、『満たされる』ということを意識するようにすると、理解は随分変わってきます。出来事や状況の良し悪しには左右されなくなるのです。
悪い出来事に遭遇してつらくなっても、誰かに優しくされれば心は満たされるのです。
良い出来事が起こったときは、他人とその喜びを共有してもらえると、やはり、心は満たされるのです。
逆に、良い出来事が起こっても、誰かと喜びを分かち合うことが出来なければ、何か物足りなさのようなものを感じるだろうと思うのです。
まとめると、『幸せ』を意識すると、出来事やものごとの良し悪しばかりに気を取られてしまい、目の前にある優しさに気付けなくなってしまって、せっかくの満たされるチャンスを逃してしまいがちになったり、満たしてもらっていることに気付けなくなってしまうのです。
次の言葉を、いつでも言えるよう気持ちの準備をし、アンテナを張っていると、きっと、自分の心をいつも満たしていくことにつながるのだろうと思います。
■私がつらいときに、優しくしてくれてありがとう
■私の嬉しいこと、一緒に喜んでくれてありがとう
そして、それによって得た『心が満たされている状態』のことを、『幸せ』と表現することはできるのだろうと思います。
説明は省略しますが、『悩み』という言葉も、こういった類の言葉の一つだろうと思います。
これらの例のように考えると、『ある』とか『ない』とかいうところから離れ、具体的に自分の気持ちを考えようとすると、実体のないものの存在を証明しようとするような哲学的思考にはまり込まずにすむので、そんなに苦しい気持ちにならないのだろうと思います。
5.『自信』とは
最後に結論を書いておきます。
『自信がある』という感覚は、次のようなとき持つことができると思います。
■「苦しい気持ちになっても、また、安心な気持ちになることができる」ということを知っている
■その為の具体的な方法を知っている
■知っているその方法を確実に実践することができる
ですから、心が苦しいと感じるときほど、一人っきりになるべきではないということを知っておいて下さい。
苦しい気持ちになったとき、そんな気持ちを受けとめてもらいたい人に話して、優しくしてもらう(じっくりと聴いてもらう)勇気を持って下さい。
そして、優しくしてもらった実績が、きっと次の自信につながるのだろうと思うのです。
優しくしてくれる人は、自分が思っている以上に、自分の周りにたくさんいるものです。
メルマガ編集後記【No.0014】
今回のメルマガの結論に対する補足をしておきます。
【例:前編】
小さな男の子が、お母さんに連れられて公園にやってきました。
その子は、友達と滑り台で楽しく遊びはじめました。ところが、滑り台でつまずいて転げ落ちて しまいました。
その子は泣きながら戻ってきて、「痛いよぉ~、もう、滑り台なんか、絶対にしない!」と言っています。
母親は、その子を見て「怪我が無くて良かった」とひと安心。
でも、その子は全く泣きやむ気配がありません。他の友達たちは、そんな事はお構いなしに、楽しそうに、滑り台で遊んでいます。
母親 は、「怪我が無くてよかったまた、友達と仲間に入って、滑り台で遊べるようにしてあげたい」と思っています。
【例:後編】
子供は、安心な気持ちになって、みんなのところに走り出しました。
そして、また、みんなと楽しそうに滑り台で遊びはじめたのです。
よかった!
母親はホッとしました。
前編と後編の間で、母親は泣きじゃくるその子とどのように関わったら良いと思いますか?
いろいろなパターンが考えられると思いますが、概ね次のような対応をすれば、子供の気持ちは安心になって、親がどうこう言わなくても、自分から勝手に楽しい雰囲気の方に吸い込まれていくのだろうと思います。
■「痛いね、痛いね、もう滑り台なんかしたくないよね」という感じで、その時の子供の嫌な気持ちに、子供が納得するまで慌てずに寄り添う。また、合わせてスキンシップによって安心感も与える。
そうすると、このとき、子供は、「辛い気持ちは一人で我慢しなくても良い。辛いとき、優しくしてもらえたら大丈夫な気持ちになれる」ということを学ぶことができるのだろうと思います。
ところが、次のような対応をすると、学ぶことは180度変わってしまいます。
■大した怪我じゃないから、大丈夫だよ。みんなと遊んでおいで。
■男の子がそんなことぐらいで泣くものじゃないよ。
■お前は強い子だよね。大丈夫だよね。
■ほら、みんな楽しそうに遊んでるよ。お前も一緒に遊んでおいで。
■今のは、たま失敗しただけだよ。お前は上手にできるから大丈夫だよ。
これらは、言う側にそんなつもりはなくても、「辛さを感じないようにしなさい」ということを言っています。
ですから、いくら気をつけて優しく声をかけたとしても、子供は辛い気持ちを支えてもらえず、自分ひとりで耐えなければならなくなります。
そして、子供は、『辛い気持ちになってしまったら、自分ひとりで耐えないとしょうがない』ということを学びます。
『辛い気持ちを一人で我慢する』ということは、子供にとっては、滑り台で痛い思いをするよりも辛いことなのです。
しかし、このようなとき、子供は、ほとんどの場合、
1.滑り台で転んで痛い
2.痛さを自分ひとりで我慢しなければならないのはとても辛い。
という2つのことによって自分が苦しい気持ちになっていると認識することはできません。
そして、意識している原因と結果を直線的に結び付けて、「滑り台は転ぶから辛い」と考えるようになるのです。
繰り返しますが、本当につらいことは、「自分一人でつらさに耐える」ことなのです。
このような「つらさに耐えて乗り越える」という経験の積み重ねによって、次のような信念を持つような苦しみの人生へと送り出されていくことになります。
■つらい時は、感情を麻痺させ、感じないようにするしかない。(強い心になる、ポジティブ思考、みんな苦しいのだから・・・、普通のことだから・・・)
■辛さの原因は排除するしかない。(ストーカー的行動、他人を変えようとする(責める)、人間関係を切る、いじめる、訴える、クレームを言わずにはいられない)
■辛さの原因となった事象は避けるしかない。(恐怖症的反応)
■つらくならないよう良い出来事ばかりが起こるように努力するしかない。(のんびり休むことができない、やたら新しい事に取り組む、三日坊主、良い出来事のための努力を惜しまない)
■つらさは結局自分ひとりで解決するしかない。(引きこもり、うつ、いじめられる)
そうやって、頑張ってらいられるうちはいいのですが、嫌な気持ちを解決することなく、他のことでごまかし続けていると、原因の分からないモヤモヤや苦しみのような感覚をいつも心に感じるようになってしまいます。
そこで、次に、
■苦しみの原因として相応しいものを、無理矢理に見つけ出し、その解決に取り組むようになる(コンプレックスや問題行動などの)
■じっとしていると嫌な感覚を感じてしまうので、ひたすら何かに打ち込むようになる。(仕事、勉強、気分転換や趣味などに没頭する)
それでも、感情や感覚を無視して頑張っていると、心身ともに疲れてしまい
■心身のバランスが崩れ、身体症状が現れる
■無気力になる(うつ状態になる)
ざっくりいうと、そんな経緯をたどるような気がしています。
このとき、上記のどのような症状や状態にあるのかということは、意識の方向性が違うということだけのことですから、大して重要な事ではありません。
ただ、「辛い気持ちは一人で我慢しなくても良い。
辛いとき、優しくしてもらえたら大丈夫な気持ちになれる」ということを知らない、或いは、信じられないだけなのです。
ですから、それを信じ、実践していくだけで、心は晴れてきます。
すみません、うまく補足説明ができたかどうかわかりませんが、何か参考になる部分があることを願っています。