08. 「何か良いことないかなぁ~」という感覚について
読むカウンセリング【No.0007】 2006/05/26
「何か良いことないかなぁ~」という感覚について
心が満たされない時、「何か良いことないかなぁ~」というように感じることがあるかもしれません。
しかし、これをあまり深追いしすぎると、『本当の望み』から離れていってしまう恐れがあります。
それは、「何か良いことが起きれば、きっと自分の心は満たされるだろう」と考えた仮説の1つに過ぎないからです。
※ 前回の『「コンプレックスという言葉」について』も参考にして下さい。
1.心が満たされる
「心が満たされる」というと、次のように考えてしまいがちだと思います。
■良いイメージのことが起こった結果、心が満たされる
しかし、そう考えてしまうと、良いことが起こり続けなければ、「心が満たされる」という状態は壊れて、すぐに、心は満たされない状態に戻ってしまいます。
日常生活を過ごす中で、「良いことばかりが起こり続けることなどない」ということは、頭では理解しているだろうと思います。
それなのに、なぜ、良い出来事を望んでしまうのでしょうか?
それには、『良いこと』に関するイメージが関係していると考えています。
2.『良いこと』に関するイメージ
皆さんは、『良いこと』というと、どのようなことをイメージしますか?
・素敵な人と出会うこと
・お金が儲かること
・自分の望みや夢が叶うこと
他にも沢山あると思います。そして、それらには次のような共通点があるのではないかと思っています。
■それらのイメージには、ネガティブな背景は無い
皆さんのイメージした事はどうでしたか?、例えば、次のようなところを想像してみてください。
【例】
- 仕事に失敗して上司に酷く叱られた。
- 恋人にふられる。
- 財布を落した。
これらは、悪い事として認識されるのは普通のことだと思います。
その出来事自体を見れば、決して心が満たされることではないのですが、その後に、何らかの出来事を持ってくれば、少し感じが違ってきます。
【例】
- 仕事に失敗して上司に酷く叱られた。先輩が親身に話を聴いてくれた。
- 恋人にふられた。友達が夜遅くまで、電話で話し相手になってくれた。
- 財布を落した。その日の昼ごはんを、友達がおごってくれた。
まとめると、良いことには次の2種類があるということです。
(1)純粋に良いこと
(2)ネガティブな背景があるからこそ得ることができる良いこと
しかし、ネガティブな感情を感じることが、良いことにつながるイメージを持つことが難しいので、(1)ばかりに意識が向きがちになってしまうのです。
3.ネガティブな感情を恐れる原因
ここには、日本の家庭の枠組みに問題があるのかもしれないと考えています。
特に、サラリーマン家庭の場合、例えば、母親に怒られた小さい子供は、辛い気持
ちとどのように向き合えば良いと思いますか?
これを考える為に、逆に、父親やおじいちゃんやおばあちゃん等がいつも家に居るような状況を想像してみて下さい。
実際に観察してみると、母親に怒られた子供は、母親以外の大丈夫そうな相手を探し、抱きついて泣きじゃくり、そのうちに、自然に泣き止んで大丈夫になるという流れに気付くだろうと思います。
そして、子供は、そんな経験の繰り返しによって、辛くなっても大丈夫になれるということを理解していくのではないかと考えています。
ところが、核家族の場合、子供は、他の誰かによって大丈夫にしてもらうという経験をする事はかなり難しいところがあります。
つまり、はじめの問いかけの答えは、「我慢する」という方法しか選択の余地は無いように思うのです。
辛い気持ちを一人で我慢するというのは、とても苦しいことです。
そこで、そんな苦しい状況に陥らないように、良い出来事が続くことを願い、そして、それを実現させようとし続けることが、「2.『良いこと』に関するイメージ」で説明した傾向性につながるのではないかと考えています。
少し話はそれますが・・・
このような状況では、母親も、いつまでも辛そうな子供を見ていなければならないので、
- 子供が不満に思っていると感じて、怒りの気持ちが納まり難くい
- 必要以上の反省から「我慢しなければならない」と自分を責める
など、かなりのストレスにつながっている恐れがあると思います。
これらのことは、『家庭の問題』というよりは、『社会の問題のしわ寄せが家庭に来ている』というように認識する方が正しいような気がします。
ですから、家族の誰かが踏ん張るのではなく、社会の問題を家庭の中で解決しようと考えて、家族みんなが協力して取り組むことが大切だと思います。
4.『良いこと』でも心が満たされないことはある
例えば、子供がテストで100点をとって大喜びしていたら、親から「100点を1回取ったくらいで浮かれてるんじゃない!」と酷く怒られたら、どんな気持ちになると思いますか?
恐らく不満な気持ちになるのではないかと思います。
これを「気持ちを受けとめる」というところから説明する事も出来ますが、今回は、ちょっと違った説明をしてみたいと思います。
この例で、子供の心の中では、親から怒られることによって「喜びの流れ」が途中で止まってしまったと理解できるのではないかと思います。
自分の気持ちを、喜びの流れの途中でフタをしてしまうと、喜びたい気持ちは、残ったままになってしまいます。
そう考えると、そのような状況で感じる不満は、「喜びの流れを妨げられたことに対する不満」と考えられると思います。
ちょっと、こじ付けっぽいところもあるのですが、結論を書くと、
■心が満たされる為には、自分の感情の流れを中断しない
ということが非常に重要だと考えています。
そして、その時々の感情の流れに任せれば、自然に「気持ちは済んでいく」のだろうと思います。
例えば、「100点取った!」と言って、1ヶ月も当初の喜びのまま歓喜し続けることはないような感じです。
これは、「喜びの感情が大丈夫になる」と表現できるかもしれないと思います。
つまり、「心が大丈夫になる」という言葉が相応しいのは、ネガティブな感情だけではないのだろうということです。
・嬉しい時は、とことん喜び
・悲しい時は、とことん悲しむ
その助けとなる事も『良いこと』の一つだということ、そして、ネガティブな感情の時の方が、逆に、強く満たされるチャンスかもしれないということを、知っておいて下さい。
メルマガ編集後記【No.0007】
メルマガでは、良いこと・悪いことという対極のところを例にご説明しましたが、その中間の状態も存在します。
その中間の状態の究極が、何も起こらない・平凡といった状態です。(この文章を書きながら、良いこと・悪いことが両極なのに、その間の状態にも究極があるのだと、ちょっと不思議さを感じています。)
もともと、私たちの日常は平凡なものです。
そして、平凡なことは、本来、私たちにとって、心地良いものだったのだろうと思います。
平凡の中で穏やかに過ごすことは、心と体の休息につながると考えるからです。
現代社会においては、向上心・成長というものがキーワードとして、人々の脳裏に焼きつけてしまうような雰囲気が あります。
これらは絶対的な価値観ではなく、時代の流れの中、たまたま、現代において注目されている価値観なのですが、私たちは特に意識していなければ、その雰囲気に巻き込まれてしまいます。
ですから、現代に生きる誰もが、きっと、本人の意識とは関係なく、日々向上を続けようとしているところがあるのでは ないかと想像しています。
このような背景の為に、現代社会においては、私たちは、休息するということを強く意識しなければ、休息がとれることは少ないのだろうと思います。
日 本の文化なのかもしれませんが、心の疲れの部分については、精神論で片付けようとしてしまう傾向があるので、特に、休息を意識することが必要だと思います。
次のような言葉は、休息を妨げる言葉だと考えています。
・興味が無い
・面白いと思わない
・趣味が無い
・やる気が無い
このように認識する事自体が既に間違っていて、
■平凡の中で平凡に過ごす事をしていれば、ある日突然、それらは自分の中に自然に生じてくる
というのが正しい認識だと考えています。
どうして、
・興味が無いとだめなのですか?
・面白いと思わないとだめなのですか?
・趣味が無いとダメなのですか?
・やる気が無いとダメなのですか?
これは、「ある」ということを意識しすぎるから、「ない」ということが気になってしまっている状態なのです。
このことに関する詳しい説明は、別の機会にしたいと思います。
今回のメルマガの内容も参考にしてみて下さい。
余談ですが、「日本人の精神論」、「日本の文化」、「日本文化の崩壊と西洋文化の侵食化」くらいのキーワードから考えていくと、現代の日本人の心の中で起きている事について説明できるのかもしれないと思いますが、面倒なので考えません^_^;