人には、色々な事情があります。
なのに、メディアやテレビの中の人たちは、問題として取り上げやすい何かが起こったとき、それに至った事情を理解しようとはせずに、ただ「表面化した現象・状態」を「最終的な現象・状態」として捉え、その現象・状態だけを見て、あれこれと好き勝手なことを言って批判します。
そんなメディアの情報ばかりにさらされていると、私たちは、自分で感じ考えることなく、メディアから垂れ流される偏った考えを、自分の考えであるかのように錯覚してしまうようになるのです。
私たちは、人間らしい(自分らしい)ものの見方ができなくなっていくのです。 メディアの洗脳から免れられたとしても、多くの場合は、メディアが暗示する視点や問題点に対して、「その反対側に立つ」ということがやっとではないでしょうか。
この世の中で起きる出来事は無数にあるのに、メディアが取り上げるニュースは、どのメディアも同じようなことばかりを取り上げることの異常性について気づいていますか?
メディアに取り上げられない出来事は無数にあるのです。
つまり、メディアの情報ばかり気にしていると、考えだけでなく、興味の方向性まで、メディアに操られてしまいます。
そのような情報ばかりにさらされていると、最悪の場合、次のような状態に陥ります。
- 自分にとって本当に大切な物を見失う
- 自分とは関係がなくても、メディアによって社会問題化された問題を「大問題だ!」と騒ぎ立てる
- メディアと同じように「社会的に問題と評価してもよさそうなこと」を「ただの問題」としてだけしか認識できないようになってしまう
「どのような事情があったのだろう?」と想像することもなく、あたかも「生まれながらの悪人が、しかるべくして問題を起こした」とでも言わんばかりに責め立てるのです。
そういう習慣が身についてしまうと、自分の身の回りで問題(?)を起こした人にも、「なぜ、問題を起こした!」と責め立てたり、「あんな問題を起こすなんて信じられない!」と陰口を囁きあったりするようになってしまいます。
これでは、相手をより悪い状態へと追い詰めることはあっても、救うことはできません。
そのような息の詰まるような雰囲気が、社会に蔓延してきているように感じます。
全てが全て、メディアのせいではないのでしょうが、これ以上「人を責める雰囲気」が社会に浸透しないように、各々の気持ちの中で、いつでも「どのような事情があったのだろう?」と考えられる気持ちのゆとりを育てていく必要があると思います。
そのようなことを考えるきっかけになりそうなドラマがあるので、ご紹介しておきます。
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