ドラマの中で、岡本太郎の父親(岡本一平)が敏子(岡本太郎の養女)に語るセリフを紹介します。
結局、人の愛し方とは、
その人間の意志というより、
能力によって決まるんだ。
たとえどんなに努力をしようと、
その人間にしかできない愛し方をするより、
仕方ないんだ。
これは、まさに、その通りだと思いました。
「その人間にしかできない愛し方」にはどのような背景があるのでしょうか?
それは、「自分が子供の頃に、どのように愛されたかによって決まる」と理解しても良いと思います。
子供は、親の愛しかた方を「当たり前のこと」として、無意識的に受け入れます。
また、成長に伴って、その愛され方には「何かが足りない・・・」と気づくこともあります。
- それをどのように解釈したか
- そこで、何を諦めたか
- そして、何を望んだか
これら無意識的なことと意識的なことが、当たり前のこととしてそれぞれの人の無意識の中に蓄積され、その人の愛し方(他人、そして、自分自身)の基礎となります。
その人の愛は、そんな基礎よって支配されるようになるのです。
このことを、一平氏のセリフでは、『能力』と表現しているのだと思います。
また、それらは、愛し方だけでなく、生き方にも影響すると考えています。「三つ子の魂百まで」という言葉も、まさに同じことを指しているのでしょう。
そんな枠組みの中で、人は例外なく、ただ一生懸命生きているのです。
人は、誰もが、ただ一生懸命なだけなのです。
そこを理解しようとせず、
- ただ、他人を非難する
- ただ、親を非難する
- ただ、自分自身を非難する
そんなことを繰り返していてはいけません。
そんな思考をこれからも続けていると、いつまで経っても心の本質を理解できません。
そればかりか、更に、無用な非難に陥りやすい思考回路を強化してしまいます。
そのような思考回路をもつ人の割合が増えれば、人と人とのつながり・家族のつながりの分断が加速させてしまうでしょう。
安易に人を非難する前に、まず、「その人の人生全体に渡る事情があるのだろう」と漠然と思う。
そんな習慣が広がるだけで、きっと社会は良い方向に変わっていくと思います。
コメント