「図と地」と「プラス思考とマイナス思考」

Pocket

図と地

『図という考え方があります。

 

次図を見て下さい。

これは『図について説明するときによく用いられる絵です。

「ルビンの盃」とか「ルビンの壺」と言われます。

 

花瓶に花が活けられています。

 

スポンサード リンク

下図のように、

  • 花瓶の色を白黒反転させ
  • 花を取り除き
  • 黒い部分を元の画像にもどすと

人の頭が気になって、もう花瓶には見えなくなります。

 

  • 人の顔が見えているときは、花瓶は認識できなくなります。
  • 花瓶が見えているときは、人の顔は認識できなくなります。

このとき、

  • 認識されているもの –> 図
  • 意識から外れて認識できなくなっているもの  –> 

と表現します。

 

これは、次のように理解することもできます。

  • その時にたまたま意識がどこに向かったのかによって見える(認識される)ものが違ってくる
  • 個人の意識の傾向性によって見える(認識される)ものが違ってくる

 

 

【余談ですが・・・】

ただ、せっかく正しく「人の顔」を認識していても、下図のように花を添えると、

ちょっと花瓶に見えたりもします。

上図の花に当たるものが、私たちの日常では

  • 現代社会における一般常識
  • 正しいと信じ込んでいる最先端や流行りの知識学問

などが、この花にあたると考えています。

 

この図と地の話を踏まえて、次の話に移ります。

プラス思考とマイナス思考

プラス思考マイナス思考という概念があります。

 

よくコップに水が半分入っているとき、その状態をどう認識するか?」という話で説明されます。

たぶん、みなさんも5回や10回は聞いたことがあると思います。

 

 

この話を聞くと、「自分は、プラス思考でありたい」と願ってしまうのは、人の自然な心理です。

ですが、この考え方に過度に取り付かれると、ちょっと苦しい気持ちになることもありますので、注意が必要です。

そこで、プラス思考やマイナス思考について、ちょっと詳しく説明しておきたいと思います。

 

プラス思考というのは、実は、でいえば『図』に過ぎません。

また、マイナス思考『図』に過ぎません。

それで全てを言い表せている訳ではありません。

 

自分のマイナス思考的な部分に気づいた時に、その思考のことばかり見ていると、

  • 自分の思考を否定したり
  • プラス思考にねじ曲げようとしたり

と取り組んでしまいがちです。

しかし、プラス思考振りはできても、思考は容易には変わりません。

逆に、「変われない」という事実に、余計な苦しみを背負ってしまうことにもあります。

 

泉のそばでコップ半分の水を見たら「半分もある」と思うのは当たりまえのことです。

砂漠の真ん中でコップ半分の水を見たら「半分しかない」と思うのも当たりまえのことです。

「半分しかない」と思うから、残り少ない水を少しずつ飲んで、長持ちさせることにつながります。

 

もし、砂漠の真ん中で、本気「半分もある」と思うなら、その水を一気に飲み干してしまうでしょう。

しかし、実際には、砂漠の真ん中では、「半分もある」と言ったとしても、チビチビと水を飲むはずです。

 

ですから、砂漠の真ん中「半分もある」と考えようとするのは、プラス思考などではありません。

本当は、「半分しか無い」と思っています。

自分の折れそうな気持ちを何とか持ちこたえさせるために、自分を麻痺させるための自己暗示なのです。

 

「半分しか無い」と思うからこそ、コップ半分の水でも、命を長持ちさせることにつながります。

だとしたら、それを「マイナス思考」と呼ぶのは適切なのでしょうか?

違います、「その環境で生きる」ということを考えれば、それは立派なプラス思考なのです。

 

 

しかしながら、「コップ半分しかない」という同じ考え方でも、

相手の地を無視して「泉の近くにいる人」から見ると、

マイナス思考 と解釈されてしまいます。

 

現代社会は、「泉の近くにいる人」の考え方 (或いは、「泉の近くにいる人」が考えるだろう」と想像した考え方 ) に支配されているところがあります。

まるで、「泉の近くにいる人」が偉いと信じているような・・・。

 

その結果、

  • が「砂漠のど真ん中にいる人は、「泉の近くにいる人の言葉を信じて、マイナス思考プラス思考変えようとする
  • が「泉の近くにいる人は、が「砂漠のど真ん中にいる人」の考え方をマイナス思考だと否定する

ということが起こっているようです。

 

そんなことでは、正しい理解にはつながりませんし、何も良くなりません。

 

多くの人は、の方に意識が向かいません。

 

泉のほとりで、「自分は砂漠にいる」と信じ込んでいるとしたら、

その人は、「自分は泉のほとりにいる」と気づけば、思考自然に変わっていきます。


その人が本当砂漠の真ん中にいるとしたら、

その砂漠から離れて、泉のほとりでいる人たちの方移動すれば、やはり、思考自然に変わっていきます。

この泉や砂漠とは何を指すのでしょう?

 

簡単に説明すると、

  • –> 正しい感情の取り扱い方をみにつけた人との触れ合い
  • 砂漠 –> 誤った感情の取扱い方を身につけた人との触れ合い

ということになります。

 

砂漠にいた人泉のほとりにいる人とのコミュニケーションが苦手なことが多いです。

その苦手な感覚を薄めて日常生活の中にある色々な泉に近づけるように練習する、

これもカウンセリングの活用法の一つです。

 

ちなみに、ピュアハート・カウンセリングのホームページや私のブログ(私の理解した心の全て子育てと解釈読むカウンセリング)などでは、今回説明したの部分を理解するためのヒントを繰り返し説明しています。

 

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です