最近、『僕と妻の1778の物語』という映画をDVDで見ました。


詳しい話は省略しますが、ちょっと気になったシーンがありましたのでご紹介したいと思います。
それは、映画の後半にありました。
入院中の妻/ 節子 ( 竹内結子 ) を見舞いに通う 牧村朔太郎 ( 草ナギ剛 )は、その独特の行動から、病院の人たち(看護婦や患者など)に『変わった人』という感じに受けとめられていました。
ところが、あるきっかけで奇妙な行動の理由を知った病院の人たちは、一転して、彼に好意的な気持ちを抱くようになります。
周りの人の感じ方が勝手に変わっただけで、牧村朔太郎(草ナギ剛 )は何も変わっていません。
以前、『「あの人は嫌いだ」ということの真実』という文を書きましたが、その記事でお伝えしたかったのは、正にそういうことです。
- その人の大切な部分を知れば、その人を受け入れることができ、
- 逆に、人を理解できないのは、その人の大切な部分を知らないから
ということです。
話は変わりますが、最近、名古屋の市会議員だったと思うのですが、その素行などが問題になり、議員を辞めさせようとしていることを朝のワイドショーで知りました。
ボーッとその報道やコメンテータの話を聞いていると、私は、「ひどい議員もいたものだ・・・」と少し怒りを覚えもしました。
でも、我に返りました。
私は、その議員のことは、その時に聞いた情報以外は何も知りません。
なのに、ちょっとした怒りまで覚えてしまったのです。
テレビが提供する情報は怖いと思いました。
その議員とは無関係で、しかも、その人のことを全く知らない、そんな私にさえ、その番組をほんの2~3分見ただけで、怒りの感情を抱かせてしまうのですから・・・・。
一瞬に思考停止に陥りかけましたが、免れました。
「私は、その人の人生を理解できるほど、その人の大切なことの大部分を知っているのだろうか?」
そう自分に問いながら、思考停止にならないよう気をつけようと思いました。
少し話は変わりますが・・・
「いじめ」の問題も同じように注意が必要だと感じます。
相変わらずマスコミが騒いでいますが、被害者の大切なこと、加害者の大切なこと、関係者の大切なこと・・・・
マスコミも私たちも、「それらのほとんどを知らない」ということを忘れてはいけないと思います。
そうしなければ、本当の問題や解決にはたどり着けないでしょう・・・。
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