「厳しい家庭」と聞くと、大体の人は次のような事をイメージするのではないかと思います。
- 門限が厳しい
- 礼儀に厳しい
- 教育にとても熱心
- 親が色々な事にうるさく言う
- …etc
でも、カウンセラーとして、心のことに関わる中で、「厳しい家庭」ということのイメージが変わりました。
今回は、そのことについて、少し書いてみたいと思います。
結論をはじめに言ってしまうと、『共感』を得ることのできる確率の低い家庭が、心にとって厳しい家庭という事になると考えています。
『共感』が少ないと、どうしても、
共感されなかった人の気持ちは家庭の中で孤立してしまいがちになると思います。
■心に優しい家庭(共感の多い家庭)
- ・嬉しい時に、一緒に喜んでくれる
- ・悲しい時に、一緒に悲しんでくれる
- ・怒った時に、一緒に怒ってくれる
- ・迷った時に、一緒に迷ってくれる
- ・自分が「頑張った」と思ったときに、「頑張ったね」って言ってくれる
- …etc
これらの頻度が少なくなればなるほど、心に厳しい家庭である確率は高くなるように思います。
そして、最も厳しい状態が、「無関心」なのかもしれません。
ここで注意が要るのは、
- 励ましたり
- 代わりに結論を出してあげたり
- …etc
することです。
良かれと思ってやってしまいがちな、これらの対応は、一見、『優しい』ように思えてしまうのですが、共感が少ないうちにやってしまうと、共感というよりは、むしろ、「落ち込んでいること」や「迷っていること」を否定する意味を持ってしまうことが多く、どちらかというと「厳しい家庭」に属するものであるような気がしています。
もし、自分の過去を振り返って、「自分は恵まれているのに、どうして・・・・」と自分を責めてしまう傾向があるとしたら、『自分の欲しかった共感を100点とした時に、実際に与えてもらえた共感はいくつだったのだろう?』と考えてみると、
・ひとりで一生懸命にやってきた自分の頑張りに、自分自身が気づいたり、
・頑張ってきた自分自身を労わってあげることが出来るようになったりする
きっかけになるかもしれないと思います。
また、もし、あなたが親の立場で、子供さんのことで困ってしまう状況に置かれているとしたら、難しいことをあれこれ考える前に、『自分は子供の色々 な気持ちに、きちんと共感できているだろうか?』と、もう一度、振り返ってみると、これからのヒントに気付くきっかけになるかもしれません。
「考え方や感じ方が違う」ということと、「共感できる/できない」ということは、全く次元の異なることなのです。
相手の考えは、説得などを通して変 えることは出来るかもしれません。
でも、相手の気持ちは、それを理解しようとすることしか出来ないのだろうと思います。
そして、もし、変わることが必要だ としたら、共感される中で、相手の気持ちは自然に変わっていくものなのかもしれません。
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