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蟻(あり)化する人類

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まぁ、馬鹿話に分類される話です。それを、覚悟して読んで下さい。

 

生物をブラックボックスに例えて説明します。

 

 

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上の図のプロセスの部分を、生物の性質で分類すると、次の図のようになります。

 

簡単に説明すると、虫のような生き物は、プロセスはDNAによって伝えられた情報によってコントロールされます。そして、大脳皮質の割合が大きくなるにしたがって、学習したことにも左右されるようになり、人類に至っては、DNAによって伝えられた情報を打ち消してまで、学習したことによってコントロールされるところがあると思われます。

 

いずれの場合でも、簡単に書くと、

  • 反応すべきスイッチが組み込まれていると反応する
  • 反応すべきスイッチが組み込まれていないと反応しない

ということになります。

 

 

昔、蟻の行列を1週間ほど観察したことがあったのですが、一般的に言われている「行動フェロモンの働きによって行列を作る」という説明では、どうも納得できないことがありました。そこで、私の解釈では、「蟻は記憶を共有する能力がある」、そして、「記憶を共有した結果として行列が自然にできてしまう」ということだろうという仮説を立ててその観察は終わりました。(その理由を簡単に書くと、アリが頭をすり合わせる行動が、記憶の伝達をしているように思えたということです。詳細は、蟻の行動に関する仮説(サイト名:科学的なことを想う)で説明していますので、興味がある方はどうぞ。)

これは、蟻の行動はDNAを介して組み込まれた「アリ共通のプロセス」によって生じるので、情報が同じなら、同じ行動が起きるということを示しているのだと、私は理解しました。

 

本題

アリの話はともかく、ここからが本題です。

人間の話です。

  • 同じプロセスを内在させた持った人たちに、同じ情報を与えれば、彼らは、同じ行動を起こすのではないか?

 

という仮設が浮かんできます。

アフリカでFacebookによって革命が起きたのは、そういうことだったのかもしれません。

 

で、革命が起きたことの良し悪しは置いておいて、私には他に心配なことがあります。

これまではマスメディアのコントロールを通して情報の共有化が行われてきました。情報を受け取った人は、それに反応するプロセスを持っていたら、反応してしまいます。その情報が、自分の生活に直接関係ないことでも反応してしまいます。そんな生活をしてきました。

そこへ、最近はTwitterというものが広まって、いろんな人がTwitterという世界の中でつぶやき合っています。

特に気がかりなのが、Retweetと呼ばれる行為です。各人のプロセスに引っかかる情報であれば、あっという間に、多くの人に広まってしまいます。自分の生活に直接関係ないことでもです。そして、何らかの反応をしてしまいます。

 

その状況が、「人間が、モバイル端末という新しい感覚器官を頭に装着し、あたかもアリがするかのように、頭をこすり合っている」と思えて仕方ないのです。

 

私の仮説では、アリは記憶を共有することで行列を作ります。(正確には、「同じ行動をするから行列になってしまう」ですが。)それは、彼らが生きていく上で必要なことです。しかし、人間は違います。人間は、行列を作る必要はない生き物です。なのに、行列を作るための行動をせっせと行っている。

これって、人間という生き物が生きていく上で、問題のないことなのでしょうか?

 

人の祖先は、サルだといわれています。そして、適度な数が集まって群れをつくり、群れの中のコミュニケーションを大切にして生きています。その群れの中には、年寄りもいれば青年も子供も赤ちゃんもいます。たぶん、人間も、そんな群れをつくり、年寄りからの教えを大切にして、助け合って生きていくのが、もともとの生き方なのかもしれないと思います。

 

 

先日、『客家(ハッカ)の教え』みたいなタイトルのテレビ番組を見ました。

国家的リーダを数多く排出している中国の著名な民族だそうです。詳しく知りたい方は、ご自身で調べてみてください。

その村やそこで暮らす人たちの生活習慣、彼らの家を見て、「これは、まさに猿山だ!」と思いました。

著名なリーダーを多く排出する著名な民族だからといって、贅沢な暮らしをしているようには見えませんでした。家も立派ではありません。大昔に建てた家に、ずっと大切に住み続けているようでした。そこで、彼らは、先祖代々伝わる教えを守り、次の世代に日常生活の中で伝えながら暮らしている。暮らしぶりは必要最小限。そして、彼らは、自分たちは幸せだと言っていました。

 

 

昔の日本は、終身雇用という猿山がありました。

今の日本は、能力主義に傾倒した結果、特に大企業は、猿山の機能を失ってしまったように感じられます。

地域社会も安心な猿山と位置づけるほどの機能は果たしていません。

「自分たちの住む猿山がない!」

そんな現状の中、人は、今度は、アリになろうとしている・・・・。

私たちがアリ化することによって、自分たちが安心に暮らすために本能的に必要とする猿山を、ますます大脳皮質のコントロールによって求めなくなってしまいそうに感じます。そうなっても、大丈夫なのでしょうか?それが、心配です。

 

少し、話は変わりますが、『客家の教え』を見て思ったのは、大切なのは、新しい情報や多くの人が興味を持つ情報ではなくて、古くから練り上げられてきた情報だということです。

昔から練り上げられながら伝わってきた大切な情報が、新しい情報や流行の情報の洪水によって、流されて失っていく・・・

最新科学という言葉も、大切な情報を洗い流してしまう・・・

ネット社会は、我々に、いったい何を残してくれるのでしょうか?

どこへ導いてくれるのでしょうか?

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