自分の心を考えるときの参考になるかもしれないので、最近、ちょっと考えたことをご紹介します。
先日、生物多様性のウソ (小学館101新書)という本と出合いました。
本を読むことにしたきっかけは、本をパラパラめくっていたときに、「納得できることを正しいと考える人間の欠陥」という小見出しを見つけたことでした。
それは、私が日頃考えていたことと同じだったからです。
この人は、具体的には、どのようなことを、そのように表現しているのだろう?
そのような興味から読むことにしました。
面白かったです。
今まで、自分にはなかった視点が、沢山紹介されていました。
本当に、読んで良かった!
他の人は、どのように思っているのだろう?
そう思って、Amazonで他の読者のレビューを見て、ビックリしました。
自分の感覚とは逆で、低く評価する人が、とても多かったのです。
こんなに面白いのに、どうして、評価が低い人が多いのだろう?
とても不思議だったので、なぜ評価が低いのかを、レビューを読みながら考えてみました。
それで、ちょっと気づいたことがあるのでを書きます。
たぶん、低く評価している人は、自覚はない(無意識)と思うのですが、
- その本一冊まるごとを、受け入れられるかどうか?
という判断をしているのではないかということです。
- 本に書かれている内容を、そのまま鵜呑みにできるか?
というポイントで見れば、私も、「そんな馬鹿な・・・」と思うことも色々ありますので、鵜呑みにしようとは思いません。
ですから、この視点によれば、私も、低く評価すると思います。
でも、今まで、自分が気づかなかった『物の見方』があるか? という視点で見れば、本当に沢山の「新しい物の見方」を知ることができました。
知ることと、それを自分の考え方として採用することは、別問題です。
それらの新しい物の見方を採用するかどうかは、自分で決めることができます。
「これはとても採用することはできないな・・・」と思うような物の見方でも、凝り固まった意識に風穴を開けてくれることもあります。
1文でも、目からウロコが落ちるような記述があれば、得したと思います。
逆に、せっかく興味をもって手に入れた本が、
- 世間の一般常識
- 常識的な情報をもとに考えればたどり着きそうな結論
- どのメディアもこぞって伝えているような情報
などしか書かれていないと分かると、ガッカリした気持ちになります。
作りかけのジグソーパズルに、別のジグソーパズルのピースが混ざってしまったところを想像してみて下さい。
その別のパズルのピースは、自分が今作っているパズルには不要なものです。
でも、普通は、混ざった別のパズルのピースを捨てることはありません。
とっておくと思います。
「別のパズルで必要になるだろう」と考えられるからです。
私たちは、日常生活でも、様々な経験や知識といったピースを集めて、「自分が理解した世界」というジグソーパズルを作っているようなところがあります。
このようにして過ごしている私たちは、別のパズルのピースが見つかると、「別のパズルでは必要なピースだろう」というところに意識は向かわずに、「不要なピース」として捨ててしまうところがあります。
ピンと来ないときは、このパズルを世界観や価値観と読み替えてみて下さい。
他のピースを捨てたくなる気持ちも、想像できると思います。
でも、本当は、全てのパズルは、それなりに短所はあるかもしれませんが、それなりに素晴らしいところもあるものだと思います。
ですから、最終的には、全てのパズルが融合した状態になることが望ましいでしょう。
そのようなピースを、「組み入れなくても、横に取っておく」くらいのことをしていかなければ、自分のジグソーパズルの枠組みは、いつまで経っても、始めに作ったときのままになってしまうのではないでしょうか。
このように考えると、受け入れやすい内容の本ばかり読んでいても、自分の世界観・価値観と同種のことが書かれているので、自分の枠組みに新しい風を吹き込んだり、より大きな枠組みへと変化させたりするには、あまり役に立たないような気がします。
心についてあれこれ考えている時も同じではないでしょうか。
たぶん、読みやすい本(受け入れやすい内容ばかり書かれている本)は、同じ結論から抜け出せない思考のループからは救い出してくれないと思います。
明らかに偏った考えでなければ、少しくらい受け入れにくい本を読んだ方が、新しい解決方法を導き出すための良い刺激になるかもしれません。
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