心を楽にするために振り返る子育て

「依存させる人」と「依存される人」

トピックス

行動のサイクル

人は、「行動のサイクル」を基本にして活動しています。

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1.自分が感じる

自分の五感によって感じます。

2.「自分が感じたこと」に基づいて考える

何かを感じることによって、その感覚に対して対処する必要があれば考え始めます

3.「自分が考えたこと」に基づいて行動を起こす

考えたことを行動によって実現しようとします。

行動サイクルが回し始める目的は、始めに感じた感覚によって生じた欲求を満たすためです。

もし、感覚が残っていれば、次のサイクルに入ります。

また、まだ感覚が残っていても、「まぁ、はじめの感覚によって生じた欲求が、ある程度満たされたかな」と感じたときは、次の「行動のサイクル」は始まりません。

これが基本的な考え方です。

これを踏まえて、「依存させる人」「依存される人」の説明を続けます。

依存させる人

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「人を依存させる人」は、他人「行動のサイクル」一部、または、全部を強制的に、自分「行動のサイクル」で置き換えようとします。

自分「行動のサイクル」パートを取り上げられた人は、自分の感覚自分の思考自分の行動力に従って、「行動のサイクル」を回すことが出来なくなります。

このようなことが習慣的に行われる環境で長く過ごしていると、自分の「行動のサイクル」パート欠落してしまいます。

その結果、自分一人では、「行動のサイクル」を回すことが出来なくなり、欠落したパートを、他人が補ってくれることを待つようになってしまいます。

これが、「依存させる人」によって、「依存させられる」ようになる流れです。

依存される人

前項で説明した「依存させられる」ようになった人は、自分の「行動のサイクル」の中の「機能しなくなっているパート」補ってくれる人を求める傾向が生じます。

そこで、結びつく確率が高いと思われるのは、前項で説明した「依存させる人」です。

これによって生じる「依存させる人」「依存する人」との関係は、ある意味バランスがとれている状態です。

このような「依存させる人」とは別に、依存されやすいタイプがあります。

(「『自分は依存されやすい』と感じる傾向がある人」と言った方が正確かもしれません。)

次の図を見て下さい。

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過去に、支配者に逆らえなかったことによって、相手からの要求には、我慢して従う、という反応が、無意識の中にすり込まれてしまう場合があります。

自分が我慢していることを隠しているため、他の人には、「頼みごとをしやすい人」と思われてしまいます。

そして、何回も頼みごとをされている内に、我慢が限界に達して、「いい加減にしてよ!」と怒りを爆発させることなるのです。

感情をぶつけられた人は、それまで我慢していたことなど知りませんから、「突然キレた!?」という印象を受けることになります。

以前、私も、時折、そのような状態になることがありました。

コントロール出来ない感情に振り回されてとても困っていたので、何とかして解決したかったのですが、なかなかその理由が分かりませんでした。

ずいぶんと長い間考えました。

そして、ようやく、気づいたのです。

「普通の人は、はじめから我慢などしない」ということに・・・。

我慢しなければ何でもないことなのに、我慢するから、怒りという状態にまで、自分の感情を高めてしまっていたのです。

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「依存されやすい」ということを考えている方は、この「依存させる人」と「依存される人」の説明を参考にしてみて下さい。

そして、「依存してくる(と感じる)人」に対して、怒りを感じる傾向があるときは、私のように「これさえ我慢したら、自由になれる」と思って、何でも我慢してしまう傾向がないかをチェックしてみると何かに気づくかもしれません。

コメント

  1. moko より:

    このブログを読んで目が覚めました。
    この通りだと思うからです。

    どんなに考えても答えが見つからず 悩んでいました。

    結局 自分の心で感じたことに従えばよかったのかもしれません。

    ありがとうございます。

    • jun_san より:

      mokoさんへ

      お役に立てたようで、嬉しいです。

      コメントありがとうございました!

  2. ポリ より:

    私はこの人を傷つけたくないという思いにとらわれて、我慢しなくてもいいことまで我慢していたのですね。これを読んで、楽になりました。
    ありがとうございます。

    • jun_san より:

      少しでも「楽になった」と感じて頂けて良かったです。

      コメントありがとうございました。

  3. LK より:

    この理論でいうと外で「No!」と言っても、その性格形成が行われた実家に戻ればやはり「yes」と言った方が、実家の中の人間関係は円滑に行くということでしょうか?なんというか使い分けるというか。

    • jun_san より:

      流されるのではなく、意思を持って使い分けられると、それが一番良いかもしれませんね。

  4. 相澤美雪 より:

    初めまして、コメント失礼します。
    自分はほかの人よりも依存されやすいのではないかという悩みがあったので励みになりました。
    私はおそらくHSPで親の言うことには従ってきたので、無意識に我慢してしまう癖がついていてもおかしくないのかなと記事を読んで思いました。
    ひとつ相談させていただきたいのですが、私は相手の要求を退けて自分の意見を通すことに罪悪感を抱いてしまいます。私が意見を通して嫌な思いをするかどうかは相手が決めるべきこととは思っているのですが…
    何か考え方を変える方法はありますでしょうか?

    • jun_san より:

      相澤美雪さん、コメントありがとうございます。
      ヒントになればと、少し書かせていただきます。

      「相手が要求するタイミング」と「自分の要求するタイミング」は一致するとは限りません。
      むしろ、一致しないことの方が多いと思います。
      相手が何かを要求してきたとき、自分が相手に要求しているとは限らないのです。
      ですから、相手が何かを要求してきたとき、自分がその要求に沿えないときには、ただ断れば良いのだと思います。
      逆に、相手が何も要求していないときにでも、自分が何かを望むときには、相手に依頼することもできます。

      たぶん、相澤さんの身近に、相手が何か要求するとただ断るだけでは済まないような人間関係があったのではないかと想像しています。
      また、自分が要求しても、逆に、相手の要求を押し付けられるような人間関係があったのかもしれません。

      そのような人間関係を離れた、他の人間関係では、
      相手が要求してきたときに「ごめん、いまは、それはできないわ」というだけで、それほど深い理由など説明しなくても、済んでしまうことって多いものです。

      逆に、自分が何かをして欲しいときに、そんなに負担のかからないことであれば、「これ手伝ってくれると助かるんだけど」とお願いすると、あっさりと「いいよ」と受け入れてもらえることも多いです。一人に断られても、別の人に頼めば「いいよ」と言ってくれたりします。また、同じ人でも、別のタイミングでお願いしたら「いいよ」と言ってくれることもあります。

      このようなことを知れば、次第に、自分の意見を押し通さなくても大丈夫な状態に変化していくと思います。
      押し通さなければ、自分の考えで相手を否定することも、相手の考えで自分が否定されることもなくなります。

      想像ですが、「押し通さなければ押し通される」、そんな状況で、相澤さんは頑張ってきたのだろうと思います。
      そんな自身の頑張りを認め、「私、頑張ってきたんだ」と自分自身の頑張りを認めてあげるところから始めてみてはいかがでしょう。

      参考にして頂ける部分があることを願っています。

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